Oct 3, 2010

愛国心

「愛国心」、歴史の教科書を読むと必ずと言っていいほど出てくるこのキーワード。日本ではあまり良くないイメージで取られることが多い。それは、愛国心という言葉がもつ、一種の狂気的なもの、宗教的な物をイメージさせることにあると思う。まだ若い人たちの殆どは、そういうものに対して、無意識にアレルギーを持っていると思う。

しかし他の国では、アレルギーどころか、国の体制として、愛国心を支柱にしている。

ニューヨークに行ったとき、街頭にははためく、アメリカの国旗の多さに驚いた。どの国でも、街の中心には、国旗の掲揚塔があり、そこにはいつも、その国の旗がなびいてた。日本のように自国の国旗を目にすることがこんなに少ない国も珍しい。

ただ、それは無意識のアレルギーであって、「愛国心」という言葉を「自分の国は好きですか?」という問に変えてみるといい。

そんなことを、海外のバックパッカーズに泊まるとよく考える。
そこにはありとあらゆる国から、自分と同世代の人たちが宿泊しており、観光名所など無いところでは、長い夜を、お酒で語り合うことが少なくない。自分は、そんな英語ができるわけでは無いが、なんとなく相手の言っていることがわかるし、なんとなく自分の言いたいことを伝えられる。最初は、どこを旅してきたのか?という話からその国々の話。女の話。お酒の話、そして、だいたい、お国談義が始まる。話している相手とお互いが自分の国について、いいところと悪いところを含め、ゴチャマゼになって話をするのだ。
そんな時、自分の国って海外から見るとどんな国だろうって言うことがなんとなく分かってくる。それは、相手の意見を、聞いたからというのもあるが、自分から日本の事を口にして、無意識に感じていたことを、言葉にして伝えると、逆に自分が今まで思っても見ないようなことが次々とひらめくのだ。

そんな事をしているうちに、「ああ、自分ってやっぱ日本が好きだな」って改めて実感できたのだと思う。なんとなく、愛国心がもてたのだ。

今までは、あくまで個人や、自分のコミュニティーのことを好きだと思うことができたが、改て、日本という大きなコミュニティーの事を好きになれた気がした。

そして、それらを掘り進めて行くと新たな感情が生まれる。
それはこの人達に「日本を好きになって欲しい」思うことだ。いろんな国の人が、日本を訪れ、そして自分の生まれた国を好きになって欲しいと思うようになるのだ。

自分は、このことがどんどんグローバル化する世の中の、愛国心なのだと思う。日本人としての、アイデンティティーを持ちつつ、いろんな側面で好きになる、好きになってもらう。

自分は愛国心という、言葉のもつ歴史的や意味にしばられていたとおもう。
自分の生まれた国を愛すること、それは実はとても自然な感情で、とても大切なことだとおもった。

そんな新しい形の愛国心をもって、これからも色々な国の人と付き合っていけたらと思う。